ギタークラフトのスペシャリストに聞きました

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すずき りょう▶1979年東京生まれ。青山学院大学卒業後、ESPギタークラフト・アカデミーへ進学。卒業後2004年より同校講師。2017年独立しギターリペア工房Trafzck Guitar Services(トラフズク ギター サービス)設立。ギター修理・オーダーメイドをはじめ、プロミュージシャンへのモニター、楽器店でのイベント、雑誌「ベースマガジン」記事連載など精力的に活動中。

ものづくりの奥にあるコミュニケーションの力に覚醒

4年後の進路を心に決め大学進学

 ものづくりが好きで、よく木の端材を削って本立てなどを作っていました。バンドではギターを弾いていましたが、練習熱心というよりも、他のバンドの友人と一緒に貸スタジオで過ごした時間の方が楽しかったのを覚えています。高校1.2年生の頃には、「卒業したらESPのオーダーギターを製作する学校に行こう」という希望を持っていましたが、附属高校だったこともあり、両親との約束でそのまま大学へ進学しました。新たな人との出会いや人脈作りもでき、学生生活ならではの経験も積めると思ったからです。すでに次の進路を決めていたので就活を行わず、卒業後は予定通りESPギタークラフト・アカデミーに入学しました。

ギター学校では2年学び14年教える

 学校法人ではない本校は、高卒生から50代までさまざまな年代の学生が通っています。ギター製作とリペア(修理)に特化し、徹底して技術を学べるカリキュラムに魅力を感じていました。作業に必要な道具も自由に使えます。ギター作りに大切なのは、「それっぽさ」。抽象的な表現ですが、いろいろなギターに触れて、演奏を観て、音色を聴いて、楽器が醸し出す独特の魅力を、自分のなかで昇華させてギターを作り上げるというイメージです。
 学校へは2年間通いましたが、卒業後引き続き本校で講師として学生を教えることになりました。講師になって良かったことは、自分が学んだことを人に教えることで、技術者としての知識の引き出しが増え、センスをさらに磨けた点です。もしもギターメーカーに就職していたら、製造工場のラインの一部にしか携われなかったでしょう。講師は製作工程の1から10までを学生に教えるので、常に自分自身の技術を向上させながら、ギター製作も継続できる、またとないチャンスとなりました。

独立で得た「自由」と「責任」の重さ

 昨年3月にESPギタークラフト・アカデミーを退職し、独立して自分の工房を持つことにしました。学生を教える生活が長く続き、技術者として新たに挑戦をしたいという思いがありました。しかし、工房をイチから準備するのは簡単ではありません。重量のある機材を置いても良い頑丈な床や、機材の騒音にも耐え、塗装のための有機溶剤が使用できる場所を借り、これまでは学校に完備されていた機材・道具をすべて揃えなければなりません。試行錯誤を重ねて、4カ月後にようやくグランドオープンできました。
 独立して感じたのは「責任感」と、「技術をお金に換える」ことの難しさです。今までは仕事の対価として決まった日に給料を得ていましたが、これからはすべて自分の力で稼いでいかなければなりません。反面、時間の使い方は自由になり、すべて自分のタイミングで行動できるようになりました。

楽器を介して人と人とのコミュニケーションを育む

 私の製作したギターをプロミューシャンに使ってもらい、感想や意見をいただいています。彼らとのコミュニケーションで心がけているのは、ギターに対して全幅の信頼を置いてもらえるよう、最大限の努力をすることです。人の手で作ったものを、人の手で奏でるのが楽器です。「鈴木さんに作ってもらったから安心できる」と、常に信頼して使ってもらうことが技術者の責任だと実感しています。
 ギター製作は「ものづくりが好き」だけでは成立しない仕事です。各パーツを作製し、組み上げたときの達成感はありますが、楽器は弾いたときの音色を聴いて初めて「報われた」という思いに至ります。これからは、調整やリペアなど気軽に工房へ来ていただき、安心して帰っていただけるような場にしたいと考えています。私にとって、ギター製作は作ることだけが目的ではなく、楽器を媒介として、人と人とのコミュニケーションをはかっていきたいという思いで日々仕事をしています。

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音楽業界をめざす高校生へのメッセージ

学校や会社は通過点。考えないで、まず行動してほしい
会社に入ることはゴールではありません。「自分がどうなりたいか」を胸にまず進んでみてください。やりたいことは時を経て変わりますので、今決めなくても大丈夫。私の場合、ものづくりよりも楽器を介したコミュニケーションを提供したかったという思いに気付き、今の道を歩んでいます。

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